昭和41年12月28日 朝の御理解
( 途中から )
中身というかそういう中には出ています。実力が出ると、それがおのずと実力の形になり、内容の形に見えてくるおかげを頂きたいと思うですね。えてして内容のない者実力の無い者が、自分の力を力以上に見せようとする所に誇張がある。内容のない者がいかにも内容があるように、それは言うなら人をよう誤魔化しておるようなものである。おかげを頂いて自分の特に信心の内容、信心の実力というものを、愈々充実したものにしていきたいと。そこを何と申しますかね。
慢心というかまぁ自慢というか。勿論自慢めいた事を自分が言っておる。これはやっぱりあの内容のない証拠ですね。昨日一昨日でしたか秋永先生が、現場において遅くに見えました。もう御祈念が済んでからでした。朝から見えておりましたけども帰っておられたかと思うたら、やっぱりまたあちらで業者の方達に捕まって、まぁ色々相談をしたり、遅くなりましたから、もうあの合楽食堂でお食事をさせて貰うて、こちらへ参りましたと言うてから遅うに見えました。
緒方さんと一緒にあそこで食事をさせて頂いておったら、そのまたそこに一人の人がお食事をしにやってきた。そしてその方が話されるのに、ここの金光様のご建築。あれはどこの誰が請合うて、どこの誰が設計したつじゃろうかと言うてその尋ねなさった。それで、秋永先生があのこの人が、あそこの責任者で熊本の井上組という業者が請合うてやっております。ほう熊本にもこんな業者がおったじゃろうかと言うてその、先ずそういう風にたまがっておられた。
そこで色々その話される事が、もうえらいそのうがった話し、またはその何て言うですか、専門的な話をその用語を使っての話を緒方さんとしておられて。あなたは何かキリストさんですかと秋永先生に。いやキリストじゃないですけれども。いやお話しとると中々そのいわゆる専門。そら本当に矢張りあれだけの間に、随分勉強しておりますから、もう見たり説明したりするくらいなら、やっぱり玄人の様な見方をしたり、説明が出来る訳なんですねぇ。ですからあっちの人はやっぱり玄人と思うたんです。
いや私はそんな無いですけれども、私は一信者ですけれどもと言うて、まぁ色々お話をしておるうちにですね。その方の親戚がみんな建築業者、又は請負師の方が自分のとこに来られると。その人もやっぱりそういう技術屋さんであった。田主丸の農協それからあの信用組合を、この頃された人の叔父さんに当たる方らしい。まぁ色々名乗りあって色々話して、その先ずこの久留米から、大分までのこの道路筋に、この右に出る建築は無かろうとこう言う。そらないかも知れませんよね。
この通りには案外良い建築と言うのはないですもんね。久留米大分間の矢張りそうかも知れないと私は思います。そのそしてこう言う事を言われる。これは将来に残る宗教建築の何と言うですかね、まぁ見事な一つの手本に見本になるだろうとこう言う。昔の矢張りあの建築と言うたら、昔のあのお寺さんであったり、お宮さんであったりあぁいうその建築を言うわけですけれども、それに近代的なそのいわゆる近代的な一つの総要ですね。近代的に作り上げた、しかもそれが宗教建築である。
まぁそうした建築だからであろうけれども実に地味だと。あれだけの事をかけられたら、もっと外部に派手にするもんだけれども実にその地味だと。大体どのくらいの金がかかっておるかと。さぁどのくらいかかっとるか私は分かりませんと。皆さんどのくらいに思われますかと。そうですね先ず建築だけで一億円でしょうち。そらまぁ途端にあの最近みんながそう、この頃緒方さんみんなにその褒められるもんですから、もう自分の事やっぱ、分の事ですよね。自分が(設計)やったつですけん。
もうこの頃昔の親父さんとは全然違ってですね、もう実に協力的でもう嬉しゅうしてたまらん。晩の十時までもあそこ説明しておる。昔はもう直ぐ自分の宿に、(木ノ内のあぜくらに)宿を取って御座いますからね。もう帰りよりなさったけれども、この頃はもう秋永先生がおると、おる間あそこで普段おってから、色々やっぱりもう殆ど完成にあった、あれを見て楽しいんですね。
それでもうどうぞ先生言うて下さい。もうそのここだけ残していったなんて事があってはなりませんから、もう言うて頂きゃもうどう言う事でもしていくからという風に、本当にまぁ気持ちが良いほどに、この頃は変わっておられると言うて話をしておられましたが。まぁそういう話を聞くと、なお気分が良い訳ですね。成程そしてその方が言われるのにですね。その建築にはですねその建築が、立派にその家が出来たと言うだけでは、名建築とは言わんそうですね。
こん家は恐らく九州の名建築の中に入るだろうという訳なんですね。何故その名建築かというとですね。建築そのものが立派であるだけではなくてね。環境が良いと言う事です。どんなに素晴らしい、例えばほんならこれは他ん所を例にとっては悪いですけども、小倉なら小倉辺りのように、あぁいう見事な建築がしてあるけれども、裏にはもう玉屋デパートがこうあってから、もう何か落ち込むような感じでしょうが。小倉の町だから仕方がないですけれどね。
だからその良い建築と言った様な、社寺仏閣と言った様な所は、もう広々とその何万坪と言う様なその境内があったりね。その山あり川ありと言った様なものが、その環境の中になからなければいけないそうですね。でなかったらどんなに建物が立派であっても、名建築とは言わないです。同時にもう借景が素晴らしい。借景というのは借りてきたその、景色ですね。いわばこう言うてもう、まるきり耳納山がバックのように似合うている。いわゆるその名建築の、そういう様相をこの建築は持っているという。
それでまぁあれがまぁちょっと高かったら良かったですけれどもねと言った様な感じの所が、もう冗談じゃないですよち。あれがもうちょっと高かってご覧なさいと、もうあれは名建築じゃないて。もうそこ辺を私共が、ここを通るたんべんに思うていると。もう何と釣り合いのとれた建築じゃろうかと言うてその、まぁ思いもしまた他の業者とも話しよりますと言う事だった。
まぁ考えてみるとですねぇ。本当に怪我の功名と言うか、もうあれだけの事になるためにはもう本当に、もう実を言うたら怪我の功名が多いんですよ。形の上においても広さ高さの上においても、まぁいろんな意味でそうなんです。それが神ながらに神ながらに、いわば出来上がっていきよると。そこに矢張り名建築だと、まぁ何時の時代にかまた違った、その時代時代の様相がです、建築の上にも現れてくるでしょうけれども、今の時代にいわば、あれは近代宗教の建築とまぁ言うわけなんですけれどもです。
何時の時代になっても、やはりほんなら梅林寺さんなら、梅林寺さん辺りの建築は、今にしてすばらしい様にです。何時の時代になってもこれはやっぱり、素晴らしいものとして、残るだろうとこう言われております。それからその緒方さんが、気分が良かったもんですきん、是非中へ入ってみて下さいちその言う所です。そしたらその方が言われた。中は見らんでん分かりますち言わっしゃった。
あれだけの建築をですね、外から見たら中がどのくらいに、念が入ってるかち言う事は分かりますよち言うて、その人は言わっしゃったそうです。それはそのどういう風にして分かりますかち言うたらね、中がお粗末であればあるほど外を派手にするち言うんです。中がですお粗末であればあるほどに、派手にするもんですよと。あれだけの建築が出来ておるのに、あれだけ地味であると言う事はです。
もう中が立派である証拠ですよち言うて、その言わっしゃったち言う話を、秋永先生帰ってきて聞かせてもらってですね。まぁ本当に万事万端の上に、お都合お繰り合わせを頂いておるなぁと。夕べも遅うまで見えておりまして、色々とお話を聞いたんですけれど。これは余談ですけれども、もう今度はですね、あそこのおかげを頂いた業者が、みんなおかげを受けておると言う事ですね。もうこれは不思議似ですね、もうつぶれかかっておったと言った様な業者が、あのあそこにはまぁ多かった事です。
沢山ありましょう電気水道ですね、衛生例えば建具ふすまと言う事。もうこれは井上組とは別個に請合わせた、それなんですけどね。例えば昨日一昨日熊本の井上組から参りましたですけれどもね。ここの建築をさせて頂くようになって、あちらの井上組さんは、まぁだ千万円以上の仕事をした事がなかったそうですね。所が今年です今年はですね、もう千万円以上の仕事が幾つもあった。同時に福岡でのこちらではこちらでの、あれだけの事が出来ていってですね。そして先生昨日一昨日見えてからです。
もう今年は今年ほど気持ちよく仕事が片付いた事はありませんでしたと。もう何かにつけて、もう何時お正月が来たっちゃ良かぐらいに、おかげを頂いておりますと言うてから、ここで話しておりました。如何にそのお繰り合わせを頂いておるかと言う事が分かるですね。例えばあちらのほうがもう、火の車であるというならです。自然こちらにもいわば火の気がなくても。いわばまぁ金なら金の請求があるでしょう。実は今日は集金に来た訳ではございませんと言うて、言い訳しよります。
いえ今日か明日ごろ準備が出来るでしょうから、お支払いするようになってるでしょうと言うて、私は申したらはぁそらまた有難い事ですけれども、実は集金に来たわけじゃございませんと。年末のご挨拶にそのおかげのお礼に来たと言うてから、昨日一昨日来とります。かというとですね、今度はもう本当にどうにもこうにも出来なかった業者がですね。愈々出来なくなって仕事を半ばで投げ打っておると言う事です。
昨日なんかもそのある業者の事を、もう愈々その困っておる状態を、秋永先生の所にその晩も丁度、晩に十一時頃までも、その色々難状実状を聞かせて貰ったそうですがですね。まぁ自分方だけが、こうやって遅れてすみませんと。所がね実を言うたらあんた方だけが遅れとるとじゃなかて。まぁあんた方が遅れておるおかげでです。例えばあんた方がいわば請合うた時の通りしておったらですね。もう他の全てがですね、例えばまたやり直してもらわなきゃならんと言う様な事になっとったけれどもです。
あんた方が遅れておるおかげで、私の方はこんなにおかげ頂いておると。ですからそういう素晴らしい、神様の働きの中にあんた方もあるのであるから。もう神ながらに違いないて。あの沢山の例えば鉄工なら鉄工と、もうしょうにん頼むなら頼むという時にも、五軒も六軒もの、いわば業者が来た時に、御神意を頂いて○○鉄工なら○○鉄工というて、頂いた事だから、神様の働きに間違いはないですよと言うて、ほかの事の間違いなさを話して聞かせたら。
もうそれこそ涙をぼろぼろ流して、そんならもう一遍だから、あんたが椛目に一遍出てから親先生に内情を話してから。足りんなら足りん所をお願いして、そしてそのお縋りさせて頂いてご覧。あんた方が立ち直らん筈はなかて。他の業者もそうして皆んなおかげ頂いておるのだから。そしてあんた達が(嘘言うとると)言うて、気の毒がる事は要らん。あんた方が遅ならかしておるおかげで、私げにゃこげんおかげ頂いておる事があると言うて、その遅なっているおかげでという話をしたそうです。
そしたらもう涙をぼろぼろ流してその、感激して喜んだとこういう話です。まぁこれは余談ですけれどもですね。まぁいうならこのご建築が出来上がるための、そうした一つの余分的なものがです、幾らでもあります。まぁそういう風にして段々出来上がっていっておるですが、その方が言われた様にです。中は見らんでも分かりますと。この建築は中身はどのくらい立派であるかと言う事は分かると。
まぁ昨日も山口の永田先生と、あの古賀さんがやって参りましたが。ここへ寄る前に先にあちらへ行って、もう一部屋一部屋を見て回ってから、どうしてこれだけその行き届くとじゃろうかと言うわけですねぇ。そらそうですよねぇ。もう本当にもうそれこそここの皆さんがですたい。もうあれだけ一生懸命にもうそれぞれの部門と言うか、それぞれのところに渡ってからの、矢張り研究をされました。
そしてそれをあぁこうという風にその設計にない、以外のそのいわゆるそのもう、末梢神経に至るまで行き届いた、矢張り建築が出来上がっていきよるのを見てから、山口の永田先生がですたい。びっくりしておられます。甘木の関係の方ですから、甘木も見た飯塚が親教会で、飯塚もあるけれどもです。もうそれは本当にあれだけ広いけれども、本当に出社の先生方が行ってから、泊まり場がないと言う様にです。
もう広どんばっかりあって、そのまとまった所がないと言う様な感じなのに、もうここの場合なんかは、その辺の行き届いておるのに驚いてしまう。先ずその水道でもガスでも、どこからでも出るようにしてある事やらね。もう窓枠一つでも、本当に障子などでも見ても念の入ってる事。まぁ大変昨日褒めてられましたですけどね。まぁそういう時さっきの話じゃないけれども。こっちの中庭におるもんじゃから、それにまた輪をかけてから自慢しよるごたる気持ちが起こって来る訳です。
そして思うんですね。成程こっちがほんなもんでない証拠だなぁとこう思うんです。こちらがほんなもんでありゃ本当に実力がありゃですたい。自慢の心なんかて起こりはしません。中身がない実力が無いとです。どうしてもそれを実力以上のものを見せようとしたり。無いものをあるかの様に、演出したりするものなんです。私共はそれを自分で思うです、内容が貧しいなぁと言う事を。
その建築を見られてですね。その業者の方が専門的に見てです。いいえ中身は見らんでも分かりますと、外部にあれだけの、その建築にあれだけ地味な、地味過ぎるくらいに、地味にしてあると言う事から見てもです。内容はどんなに立派であるかと言う事が分かると言うようにです。人間もです同じ事が言えるのじゃなかろうかとこう思う。それは気持ちがいいですねぇ。内容が豊かであって。
そしてまぁわざわざ貧しい風をする訳でもなかろうけれども。どんなに貧しい風をしとっても、それこそ水戸黄門さんじゃないけれど、いわゆる天下の副将軍と言った様な、実力も内容も持って居ってです。どこの爺さんじゃ隠居さんじゃ分らん様な風にして、ま旅に出られるあの気持ちというものが分かる様な気がします。私共はあぁありたいそういう信心を頂きたいために愈々内容を実力をです。
充実していかなければならない。ちょいと見た目にはそうでもないごたるけれども、見れば見るほどあかん。始めの間はそうでもなかったけれども、まぁお付き合いをすればお付き合いをするほど、あの人の内容に触れていけば行くほどに、あの人は素晴らしい人だと言われるような私共になりたい。しかもそれが道の教えに基づいて、そういうおかげを頂いたと言う風に思うのでございました。
どうぞ。